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"Idle Talking About My Interesting things"




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良く聞く表現だが
「あなたの誰にも負けない強みは何ですか?」
って問いについて最近よく考える。

どれくらいの人が心の底から「地球の歴史上の誰にも絶対に負けない私の強みは・・・!」
って答えられるだろうか?
この問いに対する答えの妥当性なんて勿論何の価値もなくて、
そこから推し量るべきはその人の盲信さ。

つまり人間は、例え何かの分野で世界トップでなかったとしても、
何か一つのことに限りなく妄執を焚き付けることが出来れば、
最低限何もしない人間にはならず、更に運が良ければ何かを成し遂げることさえできるということ。
安堵すべきは、世界に何かを成し遂げる人が極めて少ない事実であり、
忌むべきは、何もしない人間が世界には犇めき合っている現実である。

そして、この話の救いというのは、
各人がモチベーションの燃料とするものについては
実際のところ殆ど一切の制限が設けられていない点にあるのだと思う。

そのモチベーションが、自身の情熱だろうが、邪な下心だろうが、単なる勘違いだろうが、怪しい催眠術だろうが、いずれから湧き起ころうとも、そこに生じるエネルギーに掛かる係数は大体において一定だし、それらに価値を認めて必要としてくれる人や組織というのは幾らでも存在している。

畢竟、勘違い人間であれ。

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ここ数年で何度かTOEICを受けて、徐々にその性質というものが見えてきた。

TOEICとは、英語のコミュニケーションのレベルを測ることを目的に掲げているが、その実、ただの「テスト」に過ぎない。テストである以上、そこには必ず傾向が存在し、対策を講じうる。

そこで今回は、英語とはかけ離れた部分にあるけど、重要ないくつかのTOEIC対策のようなものを記そうかと思う。
(本文の内容は、圧倒的な偏見の下、ごく主観的な意見をアウトプットしたものにすぎないということをお忘れなく)

注意すべき点としては…
・満点を目指す人は読まない方がいい。あくまで能率的にスコアを上げる方法に過ぎない
・ここにかいてあるのはあくまで「テスト対策」であって「英語対策」ではない(英語対策は効率性の対極にあるといっても過言ではない)
・効率性を意識した場合、「10%の確率で例外がある」という類の問題の例外は無視すべき(満点を目指すのでない限り)
・自分は以下に書いてある方法により350点から700点までスコアをあげた。誰に対しても同様の効果があるとは言えないが、今の点数が低ければ低いほど効果は大きいと思う。


以下より対策
今日、IPAの情報処理技術者試験の1カテゴリーである基本情報技術者試験(以下、FE)を受けてきた。
そして即日IPAのサイト内で模範解答が出ていたので自己採点してみた。結果、午前・午後試験ともに正答率は9割を超えていたので恐らく問題ないと思われる。

今回この試験を受けてはみたが、実際、自分としては「資格試験(単体)には全く何の価値も無い」というのが昔から変わることの無い考えだ。
それは「資格」に過ぎなく、つまり「(選択の)権利を拡張するもの」であり、本来自分を高める類のものではない。
日本の英語資格試験がその最たるものだが、屡それらは学習者の進む方向を本来の目的からは逸らさせ、彼らに余計な枷をはめ、その成長を無駄に抑止する結果に繋がる。

さて話は逸れたが、結局僕の言わんとしていることは「資格を取るための努力はすべきでない」ということだ。
進むべき方向に進んでさえいれば自ずとある資質がそのひとに備わっていき、資格とはその資質の有無を問うべき存在であるはずだ。また社会制度もそうした方向に進ませなければならないはずで、そうでなければそもそも資格など邪魔以外の何者でもない。
FEで出題される問題の7割くらいは、「情報系大学の授業で教授が使う程度の技術用語を大体解し」、「生じた疑問に対して論理的な思考を巡らせることができれば」、容易に解けるレベルのものであると思う。そして、実際試験はそれで充分に合格ライン上である。満点を狙うのでもない限り、それほど網羅的な知識は必要とされない(自慢するわけではないが、私は全く勉強を始める前に一度時間を計って過去問を解いてみたが、その段階で既に合格点程度はとれていた)
基本情報技術者(特にFE)で問われるのは、ITに携わる人間が(純粋な理解はしていないとしても)直感的には感じられるべきリテラシーたちであり、選択形式の回答方式がこの傾向を更に強めているのである。
ここに私自身の創作は無いが、メモ代わりにUPしておこうと思う。


 ある大学でこんな授業があったという。 
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。

教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」 学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」

一人の学生が手を挙げた。「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、
いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」「それは違う」と教授は言った。

「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう。

今日は珍しく自身の体験を日記調に綴ってみようと思う。
とは言っても、なんの教訓も無い話を書いても仕方ないので、これを読んで下さる人には何らかの思考の余地を提供したいと思っている。
さすれば、私自身もこうして文章に起こすことで、いくらか理解を深めることが出来るので、一石二鳥だ。

適度な無駄は趣がある。過剰な無駄は冗長性と退屈を生む。

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・閏年について
一年間は、365日…ではなく、約365.2422日。
だから、4年に1度、1年間が366日の閏年がある。
でも、端数が「0.2422日」なんだから、閏年があったって少しずつずれていく。
ゆえに、世紀の変わり目、つまり「西暦1700年」「西暦1800年」「西暦1900年」は、閏年なのに一年は365日の扱い。
でも、これでもずれは生じる。
だから、「世紀の変わり目でも、400で割れる年は閏年にする」という決まりも存在する。
つまり「西暦1600年」「西暦2000年」は閏年。
こんなんで7年と半月ほど前の『西暦2000年』は、400年に一度の非常に稀有な閏年だったらしい。
(因みに、2000年の当時に、この事実を知っていた人って居る?)

…こういった事柄を調べることに一生涯を懸ける人が世の中には少なからずいる。。


ところで、誰か、精密な日本地図を作ることに全情熱を傾けてる人って居ますか??
…日本中の人が日本地図を作りたがっていたら困るけど、一人も居なかったら大問題だな。

…こうして考えると、世の中って上手く回っているなぁ。


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プロフィール
HN:
Hamhei HORIUCHI
HP:
性別:
男性
職業:
Researcher
趣味:
Reading, Coding, Thinking, Singing, & Football
自己紹介:
貴方が本を読み続ける限り、貴方は取るに足りない紙屑の存在に幻滅し続けるだろう。
Blogもそれと同じで、その殆どは読んだ人間に対して何も学ばせることの無い、全く意味を為さない落書きみたいな内容だ.

一方,文章を書くという行為は、主体に対して幾許かの成長を約束する.退化はあり得ない.
その一例として、物事を体系化する手順を学習することができたり,自己理解が促進されたり,さらには新鮮な驚きと発見が内から魔法のように引き出されることもある.

最後に、我々の価値観が互いを許容でき,かつ刺激し合う程度に『違って』いますように.
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