"Idle Talking About My Interesting things"
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
今日も懲りずにフットボールゲーム観戦後の感想を書き連ねる。
※ちなみに私はサッカーはずぶの素人だ。 つい先程、「ミラン対レッジーナ」の試合が終わった。 今日もベッカムはスタメン。最近は得点に絡むプレーを継続的にし、印象を深めている。 その影響か、先日本人の口から「是非3月以降もミランに」という発言が飛び出したが、さてLAギャラクシーはどう対応するのか?恐らく移籍を最終的に容認するにしても、移籍金の吊り上げに奔るであろう。 だがそれはともかく、あのベッカムの発言はプロフェッショナルとしてどうなのだろう? もし彼の所属するチームが米国のチームでなければ、彼はあの発言のためにとても大きな枷を背負うことになるであろう。 LAギャラクシーはベッカムの代表キャリアのことも鑑みて(勿論、金も大いに絡んでいるだろうが…)、断腸の思いで彼をミランにレンタルしたのであろう。 恐 らくミランがギャラクシーの言い値さえ払えれば、経営困難なギャラクシーも移籍を受け容れざる得ないとは思うが…。そうすると果たして彼が米国のサッカー 界に及ぼした影響とは結果としてどのようなものになったと言えるだろうか? それは米国のプロサッカーのイメージを失墜せしめ、かえって文化を退化させた ことになるのではと、私は危惧している。 さて大分逸脱してしまったので、試合の話に戻る。 今日は珍しいことに、専らフレンドリーマッチ要員として使われていた、ロニー(ロナウジーニョ)とフラミニがスタメンに名を連ねていた。これはピルロの出場停止と、セードルフの休養のためと思われる。 今日は主に上の3人に焦点を当てていこうと思う。 個人で見ていくと、フラミニもやはりプレミアの水が抜け切っていないようで、運動量や貢献度は及第点なのだが、DF時にどうしても一線を越えてしまう。特に、セリエAは足の裏を見せたスライディングに対して異様に厳しいので、フラミニのDFは常に退場すれすれのところを彷徨っているようで非常に危なっかしい。 また、ロニーは、個として見れば非常に動きが切れていて、チームに変化を齎すプレイヤーとしては非常に素晴らしかった(特に前半のDF4人に囲まれてからのドリブル突破→シュートは鮮やかで、2年前のクラシコで2得点したときの姿を髣髴させた)。しかし、チームメイトが絡むとどうしてもプレーが単調になり、その当たりはアンリと同様、「自分色のチーム」でこそ真価を発揮する選手なのだな、と感じさせた。 そして、ベッカムは試合を重ねるごとに運動量、コンビネーション共に上がっていき、この試合では(ピルロ・セードルフがいないこともあって、)前線への捌き手として不可欠な選手の一人であった。 しかし、欠点を挙げるとすれば、「トラップ(あんな下手だったっけ?)」「動いている最中のキックの精度(サイドを駆け上がった後のクロスをどうにかしろ)」「(特定の選手との)ディスコミュニケーション(ザンブロッタと仲悪いのか?)」といったところか。特に幾人かの選手はベッカムにボールを預けるのに幾許の不安を抱えているのは隠しきれない様子であった。 しかし、反面パトやカカーとは常にアイコンタクトでタイミングを計り合い、常に素晴らしいパスを供給していた。 試合は「1-1」のドローで終わった。 話は変わるが、先週「ミラン対レンジャーズ」の練習試合を見る機会があったのだが、そこで久々に「ジダ」と「シェバ」のプレイを見た。 強く感じたのは、「ジダ」はチームを変えて、是非もう一度欧州屈指のGKを目指さなければならないとういことだ。アッビアーティの地位は現在全ポジションの中でも最も不動なものとなりつつあるが、ジダは彼の控えで終わるような器ではない。GKというポジションはその性質上、1チームに2人も世界最高の選手を抱える必要は無いのだから、ジダには是非とも移籍して貰いたいと思う。 シェバについては、言わずもがな。。。w …まあ、長い目で見ることにしようかな。(恐らく、引退か、ウクライナリーグくらいしか道は残っていないと思うが) PR |
カレンダー
フリーエリア
最新CM
[12/07 柿崎]
[06/18 sick]
[04/25 あーうー]
[03/16 marybellha]
[03/16 derrillhor]
最新記事
(02/16)
(01/10)
(01/08)
(12/11)
(10/08)
最新TB
プロフィール
HN:
Hamhei HORIUCHI
HP:
性別:
男性
職業:
Researcher
趣味:
Reading, Coding, Thinking, Singing, & Football
自己紹介:
貴方が本を読み続ける限り、貴方は取るに足りない紙屑の存在に幻滅し続けるだろう。
Blogもそれと同じで、その殆どは読んだ人間に対して何も学ばせることの無い、全く意味を為さない落書きみたいな内容だ. 一方,文章を書くという行為は、主体に対して幾許かの成長を約束する.退化はあり得ない. その一例として、物事を体系化する手順を学習することができたり,自己理解が促進されたり,さらには新鮮な驚きと発見が内から魔法のように引き出されることもある. 最後に、我々の価値観が互いを許容でき,かつ刺激し合う程度に『違って』いますように.
ブログ内検索
最古記事
(01/14)
(01/14)
(01/21)
(01/24)
(01/26)
P R
カウンター
忍者アド
アクセス解析
アクセス解析
|