"Idle Talking About My Interesting things"
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これはタブーについての話。
身体障害者や知能障害者の中には総じて自身で性欲の処理をできないという人が大勢居る。 しかし、それは即ち彼ら/彼女らに性欲が無いことを意味するものではない。 いや寧ろ自分たちの意思ひとつでそれらを発散できない障害者はかえってどろどろとして粘っこい、強い感情を持っているのかもしれない。 貴方はこんな当たり前の事実を気に掛けたことがあるだろうか? 障害者が性欲を抱くことは許されていない。 いや、より正確な言葉を使うなら「彼ら/彼女らが、健全な人間として当たり前に持ち合わせている『性欲』を、社会に対して表明してはいけないという雰囲気が自然と作られている」といった感じだろうか。 つまり、これはタブー(禁忌)なのだ。 しかし、これらの問題は触れずにおけば自然と消滅する類の問題なのだろうか? いやそうではない。では、その溜まった淀みはどこへ向かい、どう扱われているのか? そのための処理というのは一般人の知らないところで確実にひっそりと行なわれていて、実際それを行なって(手伝って)いるのは現場に一番近いところにいる介護者・支援者(親類を含む)たちだ。 この本はその様を描写しているのである。 しかし私もここ何年か福祉の現場に限られたかたちで携わってきてはいるが、そういった様子を感じたことは一度たりとも無い。 これが「私のいる現場ではそういった必要性が生じていない」ということか、「私がごく表面的な関わり方しかしていないから」なのかは、判断がつかない。 だが、世の中の人々が当たり前のものとしてあるはずの、障害者の人権をある意味で平然と度外視し、踏みにじっているのは確かな事実である。 また、福祉の現場においてさえも彼らの人権が認められず、障害者同士の恋愛が禁止されていたり、障害者が風俗に行くことを禁止している施設もあるという。そのルールの根拠といえば「(何かがあったときに)誰かが責任を取らなくてはならないから」という一点だ。 責任?成人した障害者には自己責任は無いのだろうか?彼らは一生庇護の元でしか暮らせない家畜なのか? 私は所詮「外側」にいる人間なので、こうした文章もあまり説得力は無いかもしれないが、あらゆる種類の問題は「内側」以外にいる人間が関心を持たない限り、永久に解決しない。 私は畢竟、タブーから目を逸らし、それを見ると決まってわめき散らす類の人間を、心底軽蔑し忌み嫌っているということだ。 PR
じつは
内側にいることを認めるのが嫌で、外側にいるふりをして目を背けているだけなのでは?
Re:じつは
「外側と内側」の判断基準はすんなりとは決まらないものです。
おっしゃられるように、確かに問題は「事実を直視できない人たちの側」に存在するのだと思います。 まずは事実をあるがままに見て、次に何故それが忌避されるのかを考えなければ解決の糸口は見えてこないのだと思います。 |
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プロフィール
HN:
Hamhei HORIUCHI
HP:
性別:
男性
職業:
Researcher
趣味:
Reading, Coding, Thinking, Singing, & Football
自己紹介:
貴方が本を読み続ける限り、貴方は取るに足りない紙屑の存在に幻滅し続けるだろう。
Blogもそれと同じで、その殆どは読んだ人間に対して何も学ばせることの無い、全く意味を為さない落書きみたいな内容だ. 一方,文章を書くという行為は、主体に対して幾許かの成長を約束する.退化はあり得ない. その一例として、物事を体系化する手順を学習することができたり,自己理解が促進されたり,さらには新鮮な驚きと発見が内から魔法のように引き出されることもある. 最後に、我々の価値観が互いを許容でき,かつ刺激し合う程度に『違って』いますように.
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